ホーム ブログ ジャーナリズムを殺すな ──日経の...

ジャーナリズムを殺すな ──日経のFT買収から考えるメディアの未来【後編】

Newspapers and magazines blurred background

>「ジャーナリズムを殺すな ──日経のFT買収から考えるメディアの未来【前編】」を読む

日経新聞社によるフィナンシャル・タイムズ・グループ(以下、FT)買収から、ニュースメディアの現状と今後を考察する本記事。ジャーナリズムについて取り上げた前編に続き、残る2つのポイントについて考えていきます。

(2)メディア業界について──新しいメディアの誕生がもたらすもの

日経のFT買収額は日本円でおよそ1600億円。これは直近20年ほどのメディア買収額の中では“なかなかのもの”です。共同通信がまとめた「世界の主なメディア再編」(買収額は発表時の換算レートで計算)という表を見ると、FTの買収金額はダウ・ジョーンズより上ですが、ロイターより下という位置付けです(参考[2])。売却の噂が出ているフォーブズは、ロイターの取材によれば推定で4億~5億ドルといわれています(参考[3])。

  • 2000年:タイム・ワーナーと米AOLが合併(買収額不明)
  • 2007年:米ニューズ・コーポレーションが米ダウ・ジョーンズを買収(5,900億円)
  • 2008年:カナダのトムソンが英ロイターを買収(2兆1,000億円)
  • 2011年:米AOLが米ハフィントン・ポストを買収(260億円)
  • 2013年:米ワシントン・ポストをアマゾン・コムの創業者ジェフ・ベゾス氏が買収(245億円)
  • 2015年:日経が英フィナンシャル・タイムズを買収(1,600億円)

メディア業界、特にニュースメディア業界は現在、合併/買収による再編が急ピッチで進んでいます。その契機について論じる時、多くの記者は、

1. 情報技術の進化による読者離れ
2. 既存のビジネスモデルの疲弊

という2つの要因を論旨展開の軸として持ってきます。

確かに、それは非常に重要なポイントなので、さまざまな角度から論じられるべきなのです。しかしその一方で、(1)(前編)で紹介した報道機関としての姿勢の問題とも関連しますが、報道とわたしたちの社会の関係も改めて考える必要があります。

メディア再編によってビジネス面での勢力地図が塗り替わった後、それらの報道機関が発信する情報の質や種類がいかに変化したのか、わたしたちがリアルタイムに作り上げている社会はそんな情報の流通によってどのように変化し続けているのか、と。

前述した共同通信の調査「世界の主なメディア再編」は、大手ニュースメディアが主体となった買収劇を列挙したものですが、現在、ニュースプロバイダーとして大きな影響力を持っているのは、実は、Facebookのようなソーシャル・メディア・ネットワークであり、多種多様な情報源を束ねてユーザーごとに最適な情報を提供するキュレーションメディア、あるいはVoxやRe/codeのような新興オンラインメディアです。

彼らを従来の意味での報道機関と同じように考えるのは少々無理があります。彼らは、ユーザーが欲する情報をユーザーが欲する時に届ける仕組みの構築に情熱とコストを注ぎ、旧来のメディアでは考えられないようなスピードで使い勝手や機能を改修し続けています。

ユーザーエクスペリエンス(UX)を重視するそのメディア設計思想はユーザーの欲望に徹底的に寄り添っています。そのようなメディアから発信される情報の多くは、必ずしも旧来のメディアが提供してきたような公共性の高い情報ではありません。個人の興味/関心に偏った、より私的な領域に閉じた情報である傾向が強いのです。

つまり、現在起こっているメディアの再編劇とは、旧来メディアの合従連衡という単純な業界勢力地図の書き換えではなく、メディアの定義を上書きする“新しいメディア”の誕生によって引き起こされる情報流通の革命的な変化を意味します。その革命的な変化がわたしたちの社会に及ぼす影響は、極めて大きいものでしょう。その詳細については、しかし、このコラムの狙いとは外れるので別の機会に論じたいと思います。

参考[2]:【日経がFT買収】メディア再編、ネットが圧力 異業種絡み世界で加速、47NEWS
参考[3]:米フォーブス買収、独メディア大手など6社が関心、ロイター

(3)ビジネスモデルについて──デジタルシフトとグローバル展開

日経電子版の有料会員は現在およそ43万人、FTは発行部数72万部(2014年)のうち70%、およそ50万人が電子版の有料購読者です。合わせて約93万人。ペイウォール(一部有料化)の内側で、付加価値の高い記事の閲覧を可能にする取り組みを開始したのは、FTが1995年、日経が2010年です。

買収発表記者会見の席上で日経の岡田直敏社長は「システムや顧客管理はFTが一歩先を行っている」とし、購読者に向けた新たなサービスや広告商品の開発にFTのノウハウを積極的に取り入れたい意向を示しました(参考[4])。

日経のFT買収の狙いを論じるコラム群を読んでいると、やはりというか、当然というべきか、ほとんどすべてが日経における、企業としての事業領域の拡大を指摘しています。それは、日本における新聞ビジネス市場の縮小とデジタルテクノロジーの出現による既存ビジネスモデルの疲弊という2つの論点に集約されます。

日経にとってのFT買収は、アジアの英語圏進出のための足がかりになるということ、そして、日本語という制約に縛られない有料会員数の増加を目指せるようになることを意味します。おそらく、日経とFTの会員情報の統合も、少なくとも日経の経営陣の視野の中には入っていることでしょう。100万人規模のプレミアムデータが蓄積されるDMP(Data Management Platform)を活用すれば、アドテクノロジーを利用した魅力的な広告商品の開発が期待できますから。

とはいえ、今回の買収劇に対する海外メディアの報道はおおむね厳しい論調に傾いています。その背景にあるのは、ビジネス面での実際的な相乗効果、たとえば、事業規模の拡大に対する疑問もさることながら、実は、ジャーナリズムに対する日経の姿勢が同社のビジネスに深刻な影響を及ぼすかもしれない、といったシビアな視点の存在です(参考[5])。

The guardianの寄稿者であるRoy Greensladeは、The Daily MailのAlex Brummerのコメントを引用しながら、日経はFTの本当の価値を理解していないのではないか、という疑問を投げかけています。FTのビジネス上の成功は、必ずしも、ビジネスモデルの先進性や市場理解の卓越性だけにあるのではなく、編集権の独立を堅持する誇り高きジャーナリズムの姿勢にこそあるのではないだろうか、と。つまり、日経にとってのFT買収の成否は、ビジネスモデルのデジタルシフトや海外進出というビジネス面でのアクションだけで占えるものではないということです。

同社はむしろ今後、これまで以上に世界中から報道機関としての姿勢を厳しく問われることになります。まずは、海外メディアが報じる現在の評判を覆すことが、将来的にビジネス面での成功を保証する鍵となるのではないか、とわたしは考えています。

参考[4]:FT編集の独立維持 日経会長「真の世界メディアへ」、日経電子版
参考[5]:Journalists wonder if the Financial Times is safe in Nikkei’s hands、the guardian

photo:Thinkstock / Getty Images

谷古宇浩司

1972年生まれ。株式会社インフォバーン DIGIDAY[日本版]プロデューサー/シニア・プランナー。株式会社BCNで情報技術専門の報道記者を務めた後、株式会社アットマーク・アイティ、アイティメディア株式会社で「ITmedia エンタープライズ」「ITmedia マーケティング」など情報技術専門Webメディアの編集・事業責任者を歴任。2015年、株式会社インフォバーン入社、現職。