企業の価値ある変化を支援する、それがインフォバーンの役割|『サービスデザイン思考──「モノづくりから、コトづくりへ」をこえて』発刊記念インタビュー(後編)
2022年7月19日、インフォバーンの井登友一が著書『サービスデザイン思考──「モノづくりから、コトづくりへ」をこえて』を上梓。後編では、企業とデザインの関係性について、また、インフォバーンの目指す「企業のメディア化」とは何か?について話を聞いてまいります。
(前編へ)
サービスデザインの力で、批判的に具体的に問題を解決する糸口を見つけてほしい
企業自身が“どういう存在であるか”を考えていくことが「デザインする」ということ
―――インフォバーンの事業では、2011年より企業に対してサービスデザイン支援を行っています。改めて、現在デザインと企業はどのような関係性にあるとお考えですか?
井登友一(以下、井登):今となってはデザインっていう言葉というか、デザインが指し示すものが、イロ・モノ・カタチのデザインを作っていくだけと思っている人は多くない、とは思います。でも、製品をスタイリングしていくとか、見た目を整えていくとか、その刷り込みはまだある気もします。そういうふうにデザインという言葉をテーブルに乗せると、企業との関わりを考えた時に、“企業が作り出す製品の最終工程として、カタチを与えるのがデザインの仕事だ”という風に繋がってしまう部分があると思うんですよね。
でも、デザインとは何かっていうことに立ち返ると、デザインの語源は“デジナーレ”(designare)というラテン語です。この言葉を分解すると、”デ”って言葉と“ザイナーレ”っていう言葉に分かれます。“デ”っていうのはtoとかfor。“ザイナーレ”はサインと同意で印をつける。直訳すると、「ある方向に向かって印をつける」という意味です。
デザイン研究者のクラウス・クリッペンドルフはこのラテン語の語源を引いてきて、「デザインとは?」と問われた時に、「物の意味を見いだし、形を与える」と言っているんです。
「物の意味を見いだし、形を与える」というのは、「Making sense of things」とクリッペンドルフは言っていて、そう考えると重要なのは、「イロ・モノ・カタチの奥にある意味」なんですね。
意味があるものは価値がある。意味って、価値を測る物差しなので、製品であれサービスであれ、事業であれ、企業の存在意義であれ、社会に対する存在意義であれ、どんな価値、どんな意味のものさしで図れる価値を作れるかという話なんです。
だから、企業にとってデザインは、単なる製品の領域だけに限らず、“自分たちが社会にとってどんな意味を持った存在であるか”ってことを考えたり、定義したり、再定義したりしていくことと同じことなんですよね。
これは大きな意味で言うと企業そのものだし、もう少しブレイクダウンしていくと企業が行う事業活動や企業活動で、個々の製品やサービスやビジネスっていうふうにちょっとずつブレイクダウンされていくわけです。
企業って単体で成立しないので、企業が勝手に製品を作って誰とも関わらなかったら、商売にならないじゃないですか。ということは、ある企業と関わる個人や企業がいて、その集合体が社会なので、社会にとって存在意義がない企業は、存在できないですよね?「収益をあげたらいいじゃないか」「環境を壊しても、収益を上げているからいいじゃないか」というのは、もはや通用しないわけで。
そう考えると、企業自身が“どういう存在であるか”を考えていくことが「デザインする」ことだと思います。これは決して、拡大解釈ではありません。
経営者もそうでない人も「社会において価値を生み出す営みを実践していく」必要がある
―――「企業自身が“どういう存在であるか”を考えていくこと」を「デザイン経営」と表現されることもありますね。積極的に取り組まれている企業もあるなかで、なかなか進まない企業もあるようですが。
井登:ノーベル賞を受賞したハーバート・サイモンという経済学者の言葉から引用すると、「現状をより良くしようと、様々なことに取り組み実践する人は、すべからくデザインをしている」と言っているんですよね。マンズィーニは「デザインとは歌うということである」と、普通の人はみんなやることだということですよね。能力・アビリティの違いもあるけど、その歌を歌うという、まるで歌を歌うようにデザインをしていくっていう、日々の社会の中で生活を営むための活動をデザインと呼ぶのであればスキルの差はあれ、(デザインする)ケイパビリティは、みんな持っている。
例えば、“経営とデザイン”とか“企業活動とデザイン”とよく言われますけど、企業にとって企業活動そのものがデザインという行為。企業ならば社会の中で、個人であれば生活を営むこと自体がデザインすること。
ハーバート・サイモンが言うように「現状をより良いものにしていくために様々な取り組みを実践する人はすべからくデザインをしている人である」という言葉で考えると、企業がなぜ企業活動をしているかっていうと、大元の目的は社会にとって良いもの価値のあるものや価値のあるサービスや価値のある事業を作り、雇用を創出して、社会に対して貢献もして、社会を良くする活動にも参画をすること。その結果として収益がついてきて、再投資が行われるということになるのです。
「デザイン経営宣言」が2018年に経済産業省と特許庁から出されましたが、突然デザインと経営が突然結び付けられたようでいて、何も突然ではない。それを今まで“デザイン”と言わなかったというだけの話なんです。
―――さらに言えば、経営は経営層がやることだと思いがちなので、「デザイン経営」という言葉が普及してもなお、自分とは遠い(存在だ)と感じている人も多いのではないかと推測します。そこはどうクリアしていくべきだと思いますか?
井登:それこそ、マンズィーニがいう“歌うこと”を企業に置き換えると、まだ経験の浅い新入社員も、エグゼクティブも、企業の中で何かの活動をしているわけです。つまり、歌っているってことですよね。
すごく歌が上手い人やその合唱団をコンダクトするような人もいるけれど、ただ歌う人もいるわけです。合唱団に属しているわけじゃないけど、そのコミュニティの中で好きなように気分良く歌っている人もいるわけですよ。それでも、全員歌っているんですよね。
デザイン経営っていうと、経営とデザインを融合してアプローチを活用していくっていう観点でもあるので、経営層の仕事と捉えるのかもしれないけれども、経営とは何かって考えると企業を動かしていくことですよね。
企業活動を動かし、社会と関係を持って世の中に価値のあるものを何かしら送り出して、それの対価として収益を得て、雇用を生み出し、再投資をして、利益を分配する活動に関わっていくのだとしたら、それはデザインをするっていう活動に関わっているのとほぼ同意。
もう一ついうと、自分たちの仕事の領域の中で「デザイン」という言葉を持ち込むのに突然感があるならば、戦略的にデザインって言葉を無理に使わなくてもいいと思うんですよ。ある人はそれをイノベーションと呼ぶ、それならイノベーションと呼べばいいし、ある人はそれをマネジメントと呼ぶ、それならマネジメントと呼べばいいんです。
原理主義的になりすぎずに「社会において価値を生み出す営みを実践していく」ってことに関わっているのであれば、それはデザインしていくことであると思います。
時には仮想敵として、時には心強い有識者として存在するインフォバーン
―――インフォバーンは2022年、ミッションを「企業の価値創出を支援するクリエイティブ・カンパニー」と改めました。積極的にデザインを取り入れたい企業にとって、どんな存在といえるでしょうか?
井登:インフォバーンが顧客企業の外から介入していくことによって、企業に変化を起こすことはできると思います。私たちは外から入りこんでいく、言うなれば「よそ者」ですが、その「よそ者」が現れることによって起こるメリットは、顧客企業が内から“内破”を起こせること。
“内破”は重要です。外野から批判的にワーッと言われても(企業体質は)変わらない。結局、内から変えるべきですが、内から変えるのは大変です。そんな時に、外部からの侵入者がやってくると、社員からすると仮想敵にもなるし、心強い有識者にもなる。
社内で内破を起こしたいけれど、内破を起こすと軋轢が生まれてしまう人たちにとっては、共通の仮想敵として僕らを使ってもらいたい。僕らを叩く過程の中で、内から変化を起こしていける。心強い有識者だと思ってくれる人にとっては、僕らが知見を提供しながら、社内での実践をやりやすくするためのお手伝いができるでしょう。どっちにしても役立てるんですよ。役に立つと思ってほしい。
そこでインフォバーンが行うことは、マンズィーニのデザインケイパビリティ的な視点で言うと、まずは “批判的思考”。既存のものを安易に良しとせず、従来とは異なるレンズをいかに持ち込むのかっていうところです。
日本語だと混同されがちですが、批判はよく、否定や非難と誤解されます。批判っていうのは、ミラノ工科大学教授のロベルト・ベルガンディいわく、“スパーリング”。
ボクシングのスパーリングとは、なぐり合うことですけど、スパーリングで相手をぶちのめしたら意味がないじゃないですか(笑)。スパーリングって相手を倒すためにやるのではなくて、相手を強くするためにペアで組み合うわけですよね。そのようなスパーリングのような行為が本来の意味の批判なんです。
仲間であれば仲間を強くするためにだし、お客様であればお客様を強くするために、もしくはパートナーを強くするために、どういうスパーリング、批判ができるのかが大切。
この「批判をする」って、実はすごく大変なことなんです。他者を批判をするためには勇気もいるし、知識もいるし、批判する相手の対象とは違うレベルや次元の思考を持ち込まないと、正しい批判ができない。正しく批判できないとつまらない、単なるイチャモンになってしまうので、よい批判を行うということはとても大変な作業です。AかBかではなく、AとBを飛び超えてCを探すという弁証法的に考え抜くことを日々やり続けて、いつでもスパーリング、批判できる状態に自分を研ぎ澄ますってこと。めちゃくちゃ大変なんですよ。
インフォバーンはいい意味で、批判的なことに対して「面白い!」と思える人が集まっている、つまりクリエイティブな人たちの集まりだと思います。既存のものをそのまま良しとせず、何かもっといいことがないかと嬉々として考え、従来とは異なる観点から捉えられないかについて考え抜くことに飽きない人たち。時間が許す限り、抽象と具象をずっとグルグルやりたい人たちなんです。
コンテンツ作りも、マーケティングストラテジーの設計も、モノのデザインも、抽象度が高いコンセプチュアルなデザインも、結構システミックにいろんなことが連関していくような大きなサービスを作っているサービスデザインであったとしても、同じですね。
―――さきほど日本語の「批判」という言葉が誤解されがちとおっしゃっていましたが、「もっと良くならないか」っていう言葉に言い換えるとわかりやすいですね。
井登:そういうことです。だからハーバー・サイモンが言っているように、「現状を今より良くしていくために実践する人が、デザインをしている」っていうことですよね。
「企業のメディア化」とは、企業のビジネスそのものを社会に接続していくこと
―――企業がデザインによって自分たちの価値や意義を見いだしていき、価値を高めていくことが必要な時代だからこそ、インフォバーンは「企業のメディア化が必要である」という考え方を提唱してきました。そもそもメディア化とは何か? また、企業のメディア化とはどういう状態か。最後に井登さんのお考えを聞かせてください。
井登:メディア化とは何かっていうこと自体も、さっきのデザイン思考とかデザインと同じようにすごく矮小化されて、捉えられがちですよね。つまり、企業がメディア化するっていうと、企業がいわゆる媒体、テレビとかWebメディアを企業がうまく活用して、社会や世の中で存在感を示していくことと、すごく矮小化して捉えられていますが違います。
メディアとは何かというと、メディアは媒介としてあるものじゃなくて、社会の中で組み上げられていくもの。(マーシャル・)マクルーハンがそう言っています。社会の中で起きる様々な変化と関わり合っていく間に、メディアが生まれてくる、と。
そう考えると、企業がメディア化していくっていうのは、企業が社会の中の変化や要求や起きていることに関わりを持っていくことだと思います。その関わりを持つ中で、企業が人格を作っていくような活動が企業のメディア化だとすると、単に個別のメディアをどう使うかっていう話では、そもそもないんです。
なぜ社会に接続していく必要があるのかというと、企業は社会の中で、世の中で孤立無援の存在じゃないですよね。それだと成立しないですよね。
100歩譲って一昔前よりもっと前は、企業は経済的収益を上げるマシーンのように扱われていましたが、この20年ぐらいの間に、企業の社会的責任やサステナブルな活動、事業活動や製品・サービスを行っていく上での責任が問われるのが、当たり前になりました。企業は社会の中で存在意義がないと生かしてもらえないですよね。
社会によくないことをやりながら収益を上げ、罪滅ぼしかのように寄付をする……という埋め合わせだけでは、誰も納得しないわけです。つまり企業が存続するってことは、企業が企業活動を行ってもちろん収益活動も含めて、どう収益を作るか、その収益を何に使うかも含めて、企業が行っている活動や、送り出す製品やサービス事業というもの自体に社会的意義がないと、みんな(企業に対して)居ていいよと言ってくれないわけです。企業が企業として存続していこう、企業活動を始めようと思うと社会と接続しないと意味がないわけです。
社会とどう接続するのかということと、社会に対して御恩として何を返すのかということ、それにより社会からどのように認めてもらい生かしてもらうか。収益も含め、対価も含めて作っていくのが、企業のメディア化です。
それはある意味、企業のメディア化自体をデザインしていくとも言えるわけです。つまり企業にとってのメディアデザインなんですよ。
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