顧客を説得する3つの精神作用
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
文豪、夏目漱石の『草枕』にある有名な冒頭文です。今回は夏目漱石が『文芸の哲学的基礎』の中で“3つの精神作用”と呼ぶ「智」「情」「意」と、コンテンツマーケティングの関係性について考えてみたいと思います。
このぼやきにも思える名文は、会社勤めの人なら誰もが日々抱く思いではないでしょうか。理屈ばかりで詰め寄ってくる上司、改善を訴えても煙たがる上司、すぐ感情的になって人格否定までしてくるお局様、プライドばかりが高く「でも」と意地を張る後輩……。しかしながら、一見やっかいな3つの精神作用は、使い方によってはとても有益なものになります。むしろ、コンテンツマーケティングを成功させるためには、この3つの精神作用を上手に取り込むことが必須だとも言えます。
■「智」
「智」は英語で言えば、Intelligence。知性、情報、理解力、思考力。オーディエンスを説得し、理解、安心してもらうために必要な論理的思考です。オーディエンスに理解を求める場合、「智」、すなわち論理的な説明が欠かせません。論理的な説明とは、売上げ実績、市場シェア、商品のスペックやサービスの仕組み、構造、詳細情報、利用者体験の声など、根拠のあるデータの提示ともいえます。企業の資産をコンテンツとして上手に生かして、信頼に足る論拠をオーディエンスに示すことができます。実績のない新興企業や中小企業でも、数値やソーシャルメディアで広がるオーディエンスの声を上手に利用することで、オーディエンスの理解を深めることができるのです。
■「情」
「情」は英語で言えば、Emotion。オーディエンスの心を動かすためには、「情」に訴えたコンテンツを提供することが必要になります。「智に働く」だけでは、人は理解はしても、共感はしてくれません。人はどんなに正確無比な説得力のあるデータを提供されても、それを記憶することが苦手ですし、心が動かされることはなかなかありません。オーディエンスが論理的な説明を受け入れやすくするためには、まずストーリーで「情」に訴える土台を固めることが必要になります。人は何も起こらない事実や無機質な情報にはすぐ退屈します。それが心を動かすストーリーであれば、たとえ悲劇であろうと恐怖であろうと興味を抱き、心に留めます。ストーリーはそれほどまでに「情」を喚起し、人の心を動かすものなのです。
■「意」
「意」は英語で言えば、Will。人の記憶に留めてもらうためには、強い意志が求められます。コンテンツづくりにおいて市場で差別化を図るためには、強い意志に基づいた独自性と意外性が欠かせません。独自性や意外性は、「いままでどの企業もやっていない」「前例がない」とリスクを恐れていては生まれない価値観です。情報洪水のなかで競合他社と異なる存在感をアピールし、人々の記憶に留めてもらうには、この独自性と意外性を訴求しなければなりません。独自性は、「智」で訴求できるスペックや価格といった価値の訴求ではありません。オーディエンスがオンリーワンだと感じる価値観の提示ともいえます。意外性は、人の予想を超えた新しい価値観の提示ともいえます。強い意志に基づいた独自性と意外性の提示は、伝えたい情報を心に刻む記憶装置なのです。
伝説の偉業を成し遂げ、161億円を手にしたマー君に学ぶ
ひとつ、「智」「情」「意」が見事に絡み合ったとき、人はどれほど心を動かされるか、という例を紹介しましょう。
2013年のプロ野球で、東北楽天ゴールデンイーグルスの日本一の原動力となり、メジャーリーグと約161億円で契約を結んだ「マー君」こと田中将大投手の活躍ぶりは、野球ファンならずとも知るところでしょう。この年のマー君はプロ野球史に残る偉業を遂げました。彼は、まさにこの「智」「情」「意」の3つの精神作用で人々の心を動かした象徴的存在ともいえます。シーズン24連勝無敗という日本プロ野球史上初の快挙をはじめ、最多勝、最優秀防御率、勝率1位投手を獲得。これらは日本シリーズの決勝戦(あるいは野球)を初めて観た人でも、マー君がいかにすごい投手か理解することができると思います。これが「智」(数値)による理解です。
そして、日本シリーズ第6戦での160球完投。この年、初めてついた黒星。勝利を信じて最後まで投げ抜いた強い意志は、翌日の最終戦まで持ち越されました。シーズンを優勝を導いたマー君はプロ野球の常識を破って、160球を投げた翌日にクローザーとして15球を投げ、胴上げ投手となりました。腕の感覚が鈍く思うように動かなかったというマー君。試合後に彼の口からは出てきた言葉は「気合」「精神力」。敗戦の翌日にリベンジを果たすべく、リスクをかえりみず連投に挑む侠気。人は勝利に向けて闘うひとりの男のストーリーに心を動かされ、その感動を永遠に記憶に留めます。これが「情」と「意」が果たす役割です。
智に働けば人は理解する。情に棹させば人は心を動かす。意地を通せば人は記憶する。兎角に人の世は面白い。